AIと知性の「平均化」
MITのErik Brynjolfsson(エリック・ブリンヨルフソン)氏らの論文などで、「知能が劣る人はAIを使うことで賢い人と同じような行動ができるようになるが、賢い人がAIを使うと、平均的な行動になっていく」という考え方を提唱しています。
AIは、これまで特定の専門家だけがアクセスできた情報やタスクを、誰でも簡単にこなせるようにします。これにより、知識やスキルが劣る人でも、AIをうまく活用すれば、知識豊富な人と同レベルの成果を出せるようになります。
一方で、すでに高い知性やスキルを持つ人はどうでしょう?彼らはAIを「使い方」として覚える必要がなく、むしろAIを使いこなすことで、さらに独自の価値を生み出すことができます。ただし、もしAIの機能に完全に依存してしまえば、自分で深く考えることをやめてしまい、結果的に「平均的な」行動に収束するリスクもゼロではありません。
これは、計算機が普及した時代に、単純な計算能力が重要ではなくなったことと似ています。今後は、AIを使いこなす能力に加え、より良い問いを立てたりする「AIのさらに上を行く思考力」が重要になるでしょう。
AI時代における人間の価値と教育
AIが知識やスキルを「代替」する未来が来るなら、人間は知識やスキル以外の部分で評価されるようになるかもしれません。未来は知性が高いことよりも、性格で人が判断される時代が来るかもしれません。
最近、学校教育にAIを取り入れる動きが活発ですが、単にAIの「使い方」を教えるだけでは不十分かもしれません。なぜなら、操作方法はAI自身に聞けばすぐにわかるからです。むしろ、AIに過度に依存することで、特に能力の高い生徒の思考力が低下する懸念さえあります。これからの教育で重要なのは、AIには解決できない問いを立て、創造的に考える力を養うことではないでしょうか。
教育にAIについての学習を取り込もうというのは、AIを理解していない人のAIに対する恐怖のようなものがあるからだと想像できます。AIは危険だから、使い方を教えようという流れ。自己破産が危険だからクレジットカードの使い方を教えようといっているのと似ています。メリットを過小に扱い、デメリットばかりにスポットライトを当てていく手法は、いろいろな分野で見られます。
新たな価値基準:知性から人間性へ
ところで、もしAIが浸透して、人間の知性のアシスタントになる未来があるのであれば、知性が低いことはハンディキャップにはならなくなるはずです。原始時代は目が悪ければ、獲物を探すことができないので、身体障害者のようなものだったはずですが、メガネがあることで人間の機能を補完できます。今の時代、視力が悪いことを身体障害者と認識する人はいないでしょう。
それでも人は人を比べたがる生き物なので、新しい価値観で人を比べることでしょう。人間性はどのように比較するのでしょう。AIを使えば簡単かもしれません。それには道徳の授業が役に立ちそうです。未来のAIなら点数化をすることも簡単でしょう。これによって、道徳心のある人がよりよい就職ができるのです。
これにより、例えば企業は「道徳心のある人」を優先的に採用するようになるかもしれません。なぜなら、そのような人材は不祥事を起こすリスクが低く、安心して雇用できるからです。「道徳心があれば本当に不祥事を起こさないのか?」という長年の疑問さえ、AIが膨大なデータから答えを導き出す可能性があります。
そんな未来って本当に来るの?と思いそうですが、腕力の時代から知性の時代に変わったように、新しい価値観の世界が到来するのは容易に考えられます。短いスパンで見ても、知識の詰め込みよりも知識から新たな創造をすることが重視される時代に変化しています。今や、物知りの友人に尋ねるよりも、スマートフォンで検索する方が迅速かつ正確な情報を得られる場面も増えています。
逆にAIが人類の価値観を根底から覆すものとなるのかも興味があります。
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