「明日に架ける橋
渡る人になるか、作る人になるか」
このフレーズは、私がサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」という曲からヒントを得て作ったフレーズです。
これについて、AIで作文させるとこうなりました。
人生には、すでにある道を進むのか、それとも新しい道を切り開くのか、という選択に直面することがあります。この言葉は、そんな人生の岐路を「橋」という言葉で表現しています。橋を渡る人は、先人たちが築いてきた確かな道を進みます。それは安全で、すでに実績のある道筋です。多くの人々が歩んできた道には、それなりの知恵と経験が詰まっています。
一方、橋を作る人は、未知の可能性に挑戦します。新しい道を切り開くには、失敗のリスクや多大な努力が必要かもしれません。しかし、その先には誰も見たことのない景色が広がっているかもしれません。
どちらが正しい選択なのか、その答えは人それぞれでしょう。時には橋を渡る人になり、時には橋を作る人になる --そんな柔軟さも大切かもしれません。
大切なのは、自分がどちらの人になりたいのかを、しっかりと考えることではないでしょうか。
なるほど、そういう解釈か、と思いました。私の思いとぜんぜん違う。
この曲は、困難に苦しんでいる人々に寄り添い、濁流に架かる橋のように身を投げだして支えになろうというような内容です。苦しんでいる人の視点で勇気をもらったと共感する人が世界中にいるわけです。しかし、私はそこに橋があった場合、その橋を渡る人ではなく、造る人になりたいと考えました。助けてあげる側の人間になれるように、自分の磨いていきたい。
もちろん、この曲は単に「誰かが助けてくれるから頑張れ」という安易なメッセージではありません。正しい道を歩んでいるなら、必ず支えてくれる人がいる、そう信じて前進しなさいという深い意味が込められているのだと思います。
ただし、手を差し伸べることは、言うほど簡単ではありません。自分の言動が本当にその人のためになっているのかというのは、判断がつかないことがあります。時には諦めることが正解の場合があるからです。安易な善意が、かえって状況を悪化させてしまうこともあるのです。やみくもに困った人を助けるのが正義というわけではありません。
自分の思いを短いフレーズにまとめたときに、「あー、わかる」と共感してくれる人がいました。それが自分の意図と同じだったのかは。今考えるとわかりません。ましてや、AIが「明日に架ける橋」という曲を知っていて、曲の内容を理解したうえで、作文をしてくれたのかどうかもあやしいです。
AIが「明日に架ける橋」になってくれるのか。AIに頼るのではなく、私たち自身が困っている人の手助けをする存在にならなければいけないのはもちろんですが、AIでなくても、人の思いを読むのは難しいということです。
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