野球が好きな上司が「この仕事は全員野球だ!!」と熱い気持ちを語る人がいたのですが、野球に興味がない人にとっては、さっぱり伝わってきません。
「協力して取り組んでいこう」ということなのでしょうが、意味不明なたとえを挟み込むことで、言葉の深さがわからなくなります。深いのかどうかもわからない。
なにかをわかってほしいときに、たとえ話をしようとするのは誰しもあることです。そのたとえが話し手と聞き手が共有できる内容でなければ、失敗です。単に遠回りになっているだけで、余計にわからなくなることがあります。
話し手は、伝えたいことがあるからたとえ話をしているはずなので、聞いている側は、そのたとえ話の真意を探そうとします。ストレートに話しをすると実に単純なことなわけです。「全員野球」という話をされても、内容は「協力して取り組んでいこう」と実に簡単な話となってしまうわけです。それよりは、仕事の中で実際に起きている事例で話をされたほうがわかりやすいのですが、身近な実例は範囲が狭められるので、汎用的になっていかないことを危惧してしまうのです。
あまりに抽象化した話をすると、聞き手側のそれぞれがそれぞれの事例を頭に浮かべてしまうので、話し手の目的は収束しません。話し手の意図と真逆の意味合いで受け取ってしまうこともよくある話です。
講演会で話を聞いたあと、職場でそのことを話題にすると、受け取った教訓が真逆のことがあります。どんな話を聞いても、そこから「努力」の二文字しか思い浮かべない人は結構います。
オリンピック選手の話で、「メジャーな競技だとまったく太刀打ちできないので、マイナーな競技を取り組んでメダルを取ることができた。そのときの運とか時代の流れとか人との出会いとか、人生どうなるかわからないもの」という趣旨の話だったはずなのに、「さすがメダルを取る人は努力を積み重ねて今に至っている」と感動しているわけです。もちろん謙遜しているだけで、ものすごい努力をしているのかもしれません。いや、きっと努力をしていることでしょう。
「全員野球」の場合は、人それぞれバックグラウンドが違うので、野球好きには共通したものを感じるのでしょうが、スポーツとは無縁の人には何を言っているのかさっぱりわかりません。どんな話をしても「努力」を思い浮かべる人がいる中、違うことを想像している人もいるわけです。同じ姿勢で取り組んでいこうとしているのか、適材適所で得意分野でがんばろうとしているのか、話し手が想定していない方向で解釈する可能性があるということです。
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